50代になると、世間やネットでこんな言葉をよく見かけるようになります。
「第二の人生の目標を見つけよう」
「定年後の生きがいを作ろう」
「50代から新しいことに挑戦しよう」
もちろん、やりたいことがある人はどんどんやればいいと思います。
ですが56歳になった私は、こうした言葉を見るたびに少し違和感を覚えてしまうのです。
「人生って、そんなに大層な目標が必要なのだろうか?」
結論から言えば、無理に生きがいや目標を作る必要なんてありません。 今回は、50代を迎えた私が見つめ直した「頑張りすぎないお金と人生の距離感」について書いてみたいと思います。
1. 若い頃は「やるべきこと」が人生から勝手にやってきた
若い頃を振り返ってみると、自分で目標を作らなくても人生の方から次々と「やるべきこと」が押し寄せてきていました。
| 年代・フェーズ | 人生からやってくる「やるべきこと」 |
| 学生時代〜20代 | 勉強、部活、就職、仕事を覚える |
| 30代〜40代 | 営業目標の達成、出世、結婚、子育て、住宅ローンの返済 |
| 50代以降 | 子どもの独立、ローンの完了、仕事のゴールが見えてくる |
私も30代の頃は必死でした。目の前の営業数字をどう達成するかばかり考えていましたし、それが楽しかったのも事実です。
しかし50代になり、怒涛のように押し寄せていた「やるべきこと」が一段落したとき、急に「これから何を目標に生きればいいのか」と戸惑う人が増えるのかもしれません。
ですが、若い頃に十分頑張ってきたのですから、50代でまた無理に新しい目標を掲げて頑張る必要はないと私は思っています。
2. 今の私の目標は「平穏な毎日」が続くこと
今の私には、「人生に爪痕を残したい」「何者かになりたい」といった大きな野望はありません。
ただ、「日々、平穏に暮らすこと」。それだけが目標です。
- 朝起きて、今日やることを考える
- 投資や家庭菜園、ブログを楽しむ
- 妻と食事をし、テレビを見て眠る
何かすごいことを成し遂げなくても、こんな平凡な毎日が明日も続くこと。それ以上に贅沢な目標はないと感じています。
3. 「何もしない一日」は無駄ではない。人生はドミノ倒し
早期退職をしていると、テレビを見て、ご飯を食べて、散歩をして終わるような「何もしない日」もあります。
人によっては「一日を無駄にした」と落ち込むかもしれませんが、私は全く無駄だとは思いません。人生は「ドミノ倒し」のようなものだからです。
💡 人生=ドミノ倒しの考え方
- 今日という無駄に見えるドミノ(何となくテレビを見る)が倒れる
- たまたま目にした情報から「これ面白そうだな」とネットで調べる
- 翌日試してみたら、何年も続く一生の趣味につながる
「テレビを見ていた時間」だけを切り取れば無駄に見えますが、その時間がなければ次の出来事も起こりません。
人生が終わるまで、どの時間が本当に無駄だったかなんて誰にも分かりません。だったら、今の時間を無理やり「有意義なもの」にしようと焦らなくてもいいはずです。
4. 楽しみは「無理に探すもの」ではなく「勝手に見つかるもの」
「定年後の趣味を作らなきゃ」と必死になる必要もありません。
私にとっての投資や家庭菜園、旅行も、「趣味を作ろう」と探したわけではなく、普通に生活する中で「面白そうだな」と思って始めただけです。
やってみて面白ければ続ければいいし、つまらなければやめればいい。何にも興味が湧かなければ、淡々と生活していればいいのです。
もし毎日が退屈で嫌になったら、そのとき初めて人の中に飛び込んだり、新しい場所に行ってみたりすれば遅くはありません。
まとめ:寿命が来るまで、ひたすら生きればいい
「残りの人生で何かを成し遂げなければ」と焦る必要はありません。
【50代からの気楽な生き方】
・大きな目標も、生きがいも、無理に作らなくていい
・何もしない日があっても、それは次の日につながる必要なプロセス
・今日を生き、明日になったらまた明日を生きる
目標がなくても、生きていれば楽しいことも、つらいことも、新しい発見も勝手にやってきます。
何かを成し遂げようと変に肩肘を張らず、ただ今日という一日を丁寧に生きる。
50代になった今の私には、それくらいのおおらかな姿勢がちょうどいいと感じています。
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