「自分は誰の役にも立っていない」と思わなくてもいい。生きているだけで意味があると私は思う

時間の使い方・マインドセット

「人は誰かの役に立つことで、生きがいを感じる」

そんな話を聞くことがあります。

確かに、誰かの役に立てればうれしいものです。

「ありがとう」と言ってもらえたり、「参考になりました」と言ってもらえたりすれば、私もうれしく感じます。

ただ、普段の生活の中で、

「今日は誰かの役に立とう」

と考えているかというと、私はまったく考えていません。

誰かの役に立たなければならないとも思っていません。

それでも私は、

生きていること自体に意味があるんじゃないか

と思っています。

「誰かの役に立とう」と考えるのは意外と難しい

そもそも、人の役に立つとは何なのでしょう。

私は会社員時代、営業の仕事をしていました。

営業ですから、お客さんの役に立つために情報を持っていったり、提案をしたりしていました。

でも、

「お客さんの役に立つことは何だろう」

と考えて、それを見つけること自体が簡単ではありませんでした。

相手が何を必要としているのか。

何をすれば喜んでもらえるのか。

それは自分だけで決められるものでもありません。

だから今の私が、

「誰かの役に立つことをしよう」

と思っても、正直、何をすればいいのかよく分かりません。

人の役に立つというのは、思っているほど簡単なことではないような気がします。

ブログも、結果として誰かの役に立てばいい

このブログについても同じです。

もちろん、できれば読んでくれる人の役に立つ記事を書きたいと思っています。

でも、

「人の役に立つ記事を書こう」

と考えても、そんな記事が簡単に思いつくわけではありません。

結局、私が書いているのは、自分が実際に経験したことや、自分が考えていることです。

49歳で早期退職したこと。

会社を辞めてから感じたこと。

お金について考えたこと。

投資をしていて思ったこと。

56歳になった今、人生について考えていること。

そんな自分の経験や考えを書いています。

それを読んだ誰かが、

「ちょっと参考になったな」

「こんな考え方もあるんだな」

と思ってくれたら、それでいいと思っています。

「役に立ちました」と言われなくても分からない

ブログを書いていても、

「この記事は役に立ちました」

とわざわざ伝えてくれる人は、ほとんどいません。

でも、それは当たり前だと思っています。

なぜなら、私自身がそうだからです。

ほかの人が書いたブログや記事を読んで、

「これは参考になったな」

と思うことはあります。

それでも、わざわざコメントを書いたり、本人に連絡したりすることはほとんどありません。

記事を読んで、そのままページを閉じます。

だから、反応がないからといって、誰の役にも立っていないとは限りません。

もしかすると、自分の知らないところで誰かが読んで、何かを考えるきっかけになっているかもしれません。

逆に、まったく役に立っていないかもしれません。

それは私には分かりません。

でも、それでいいと思っています。

書き続けられる間は、これからも書いていこうと思っています。

そもそも私は、人の役に立っているのだろうか

ここで自分自身について考えてみました。

「あなたは今、誰かの役に立っていますか?」

と聞かれたら、どう答えるでしょう。

私は、

「はい。私は人の役に立っています」

と大声で言えるほどの自信はありません。

では、

「私は誰の役にも立っていません」

と思っているのか。

それも違います。

おそらく、どこかでは誰かの役に立っているのでしょう。

でも、それがどこなのか、自分では全部分かりません。

考えてみれば、人が誰かに与えている影響なんて、本人にはなかなか分からないものなのかもしれません。

助けてもらう人は「役に立たない人」なのだろうか

私は今56歳です。

これから年を取れば、できないことが増えていくでしょう。

いつか、自分一人では生活できなくなるかもしれません。

誰かに助けてもらわなければならなくなる可能性もあります。

では、そのとき私は、

「人の役に立つ人」から「人の役に立たない人」に変わるのでしょうか。

私は、そんなに単純な話でもないように思っています。

例えば、私を助けてくれる人がいたとします。

その人は、私を助けるという経験をすることになります。

その経験の中で、何かを感じるかもしれません。

何かを学ぶかもしれません。

その経験が、その人のその後の人生に何らかの影響を与えるかもしれません。

そう考えると、私は助けてもらっているだけのように見えても、別の角度から見れば、その人に一つの経験を与えているとも考えられます。

もちろん、それを「だから私はその人の役に立っている」と言い切るつもりはありません。

ただ、

助ける人は役に立つ人。助けられる人は役に立たない人。

そんなふうに簡単に分けられるものでもないと思うのです。

「自分は誰の役にも立っていない」は本当だろうか

もし、

「自分は誰の役にも立っていない」

と悩んでいる人がいたら、私は一度こう考えてみてもいいんじゃないかと思います。

本当にそうなんだろうか。

少し角度を変えて、自分を振り返ってみる。

自分が誰かに何かをしてあげたことだけを探す必要はありません。

誰かと話したこと。

誰かに助けてもらったこと。

一緒に過ごしたこと。

自分の何気ない言葉を相手が覚えていることもあるかもしれません。

自分では気づかないところで、何かしら相手に影響を与えている可能性があります。

そう考えると、見方によっては、

まったく誰の役にも立たない人なんて、本当はいないのかもしれません。

私はそんなふうに考えています。

私は「生きていること自体」に意味があると思っている

私は、生きていること自体に意味があると思っています。

生きていれば、いろいろなことを経験します。

うまくいくこともあれば、失敗することもあります。

楽しいこともあれば、つらいこともあります。

その経験から何かを学び、自分自身も少しずつ変化していきます。

そして、生きている限り、誰かと接することもあるでしょう。

自分が相手から影響を受ける。

自分も相手に何らかの影響を与える。

その繰り返しなのではないでしょうか。

自分が何かをしてあげる側でなくてもいい。

助けてもらう側になったとしても、人との関わりは続いていきます。

生きている限り、経験が続き、変化も続く。

そして、その先にまた次の人生が開けてくる。

私はそんなふうに理解しています。

死んだあとのことは、私にも分からない

私は、死んだらすべてが終わるのかどうかも分かりません。

これまで生きてきたことの延長線上に、何かがあるのかもしれないと思うことがあります。

また人として生まれるのか。

まったく別のものになるのか。

違う時代に生まれるのか。

もちろん、私には分かりません。

これは事実として分かっている話ではなく、私自身が人生について考える中で、そんな可能性もあるのではないかと思っているだけです。

ただ、少なくとも今生きている間は、いろいろなことを経験できます。

人から影響を受け、自分も周囲に影響を与えながら変化していくことができます。

だから私は、まず生きることが大事なんだと思っています。

もっと気楽に生きてもいいんじゃないだろうか

「誰かの役に立たなければならない」

「社会に貢献しなければならない」

「人から必要とされなければならない」

そう考えることで頑張れる人もいるでしょう。

それを生きがいにする人もいると思います。

私は、その考え方を否定するつもりはありません。

でも、

「自分は誰の役にも立っていない」

「自分なんて必要とされていない」

と、それによって自分を追い込んでしまうのであれば、もう少し気楽に考えてもいいんじゃないでしょうか。

生きている。

いろいろな経験をしている。

誰かから影響を受けている。

そして自分でも気づかないところで、誰かに何らかの影響を与えているかもしれない。

生きているだけで、回り回って誰かの役に立っている可能性だってある。

私は、そのくらいの感覚で生きていてもいいと思っています。

もちろん、

「こう考えてください」

と言いたいわけではありません。

この記事を読んで、

「いや、私はそうは思わない」

となっても、それでいいと思います。

ただ、

「自分は誰の役にも立っていない」というのは、本当にそうなんだろうか。

一度、少し違う角度から考えてみる。

そこから自分なりの答えを考えてもらえれば、それでいい。

そしてこの記事が、そんなことを考える小さなきっかけになったとしたら。

それもまた、回り回って誰かの役に立ったということなのかもしれません。

コメント

タイトルとURLをコピーしました