納骨堂じまいをして父と祖母を散骨した話|私が「墓を残さない」と決めた理由

人間関係・家族・孤独

少し前に、納骨堂じまいをしました。

納骨堂には、父と祖母の遺骨が納められていました。

その遺骨を取り出し、散骨業者へ送り、散骨してもらいました。

家にあった仏壇も、この機会に処分しました。

納骨堂もない。

仏壇もない。

父と祖母の遺骨も、もうありません。

でも私は、まったく後悔していません。

父や祖母への思いがなくなったわけではないからです。

今でも写真を飾っています。

たまに写真を見て、

「ありがとう」

「みんな元気にやっているみたいよ」

と話しかけることがあります。

私にとっては、それで十分です。

今回は、なぜ私が納骨堂じまいをして散骨することにしたのか。

実際にどのような流れで行い、いくらかかったのか。

そして、墓や供養について私がどう考えているのかを書いてみます。

※この記事は私自身の体験談です。墓地・納骨堂の契約や自治体、散骨方法などによって必要な手続きは異なる可能性があります。実際に行う場合は、納骨堂の管理者や自治体、散骨事業者などに確認してください。

納骨堂じまいを考えたきっかけは、子供たちが県外に住んでいるから

私が納骨堂じまいを考えた一番の理由は、子供たちです。

現在、子供たちは県外に住んでいます。

将来、実家の近くに戻ってくるかもしれません。

でも、戻ってこないかもしれません。

それは分かりません。

その状態で私たち夫婦が年を取っていけば、いずれ納骨堂の管理を子供たちに引き継いでもらうことになるかもしれません。

遠くに住んでいる子供たちに、

「納骨堂をどうする?」

という問題を残すことになります。

だったら、私たちが元気なうちに終わらせておこう。

そう考えました。

納骨堂じまいも若いうちにやった方がいいと思った

もう一つ理由があります。

納骨堂じまいにも体力が必要です。

お寺に相談する。

手続きを確認する。

遺骨を取り出す。

散骨業者を探す。

仏壇も処分する。

いろいろやらなければなりません。

80歳になってから、

「そろそろ納骨堂をどうにかしよう」

と思っても、自分で動けるか分かりません。

そして結局、子供たちに頼むことになるかもしれない。

だったら、まだ自分でできるうちにやってしまった方がいい。

私はそう考えました。

最初に菩提寺の住職へ相談した

まず、菩提寺の住職に相談しました。

「納骨堂をやめたい」

と伝えました。

多少は何か言われるのかなと思っていましたが、案外すんなり受け入れてもらえました。

住職も、

「時代の流れですかね……」

といった感じでした。

子供が地元を離れて暮らすことも珍しくありません。

お墓や納骨堂を代々引き継いでいくことが難しい家庭も増えているのでしょう。

そのお寺は納骨堂を拡張していましたので、私一人がやめたところで困らなかったという事情もあったのかもしれません。

いずれにしても、私の場合は揉めるようなことはありませんでした。

納骨堂をやめたあとの遺骨は散骨することにした

納骨堂には父と祖母の遺骨がありました。

では、その遺骨をどうするのか。

私は散骨することにしました。

別の納骨堂へ移すという選択肢もあります。

樹木葬や永代供養という方法もあります。

でも、私がやりたかったのは、

次の納骨先を探すことではありません。

自分の代で終わらせることです。

別の場所へ移して、そこをまた子供たちが管理することになったら、私が納骨堂じまいをする意味が薄れてしまいます。

私が調べた範囲では費用面でも散骨が一番納得できました。

そこで父と祖母の遺骨は、散骨することにしました。

散骨業者は値段で選んだ

散骨業者はインターネットで探しました。

何を基準に選んだのか。

私の場合は、ほぼ値段です。

散骨業者に特別なことを期待していたわけではありません。

豪華なセレモニーをしてほしいわけでもない。

ルールに沿って、きちんと散骨してもらえればそれでいい。

そう考えていました。

父と祖母、2人分で4万円くらいだったと思います。

遺骨を業者へ送り、散骨してもらいました。

遺骨を送ることにも抵抗はなかった

人によっては、

「親の遺骨を業者へ送るなんてできない」

と思うかもしれません。

でも、私はまったく抵抗がありませんでした。

私は、骨そのものには何もないと思っています。

もちろん、これは私個人の考えです。

父の骨が納骨堂にあっても、散骨されても、父に対する私の思いが変わるわけではありません。

祖母についても同じです。

骨があってもなくても、思いは変わらないはずです。

私はそう考えています。

納骨堂じまいと仏壇じまいで、いくらかかったのか

私の場合、散骨以外にも費用がかかりました。

記憶している範囲では、こんな感じです。

内容私が支払った金額
納骨堂のメンテナンス費約10万円
納骨堂のいわゆる魂抜き等のお布施約5万円
仏壇のいわゆる魂抜き等のお布施約5万円
仏壇の引き取り約7万円
父・祖母2人分の散骨約4万円
合計約31万円

あくまで私の場合です。

お寺や納骨堂、仏壇の大きさ、散骨業者などによって金額は違うと思います。

それでも、納骨堂と仏壇を整理して、父と祖母の遺骨も散骨し、これで次の世代へ管理を引き継ぐ必要がなくなった。

私は納得しています。

「魂抜き」という言葉について

ちなみに、私は「魂抜き」と呼んでいますが、宗派などによって呼び方や考え方は違うようです。

この記事では、私が実際に経験したときの感覚として、この言葉を使っています。

供養の方法についても、宗派やお寺によって違うでしょう。

ですから、

「納骨堂じまいをするなら必ず○万円のお布施が必要」

という話ではありません。

私の場合は、それぞれ5万円程度包んだということです。

散骨と「改葬」は少し違う

ここは、今回改めて公的な情報を調べてみました。

墓地埋葬法でいう「改葬」は、埋蔵・収蔵している焼骨を他の墓や納骨堂へ移すことと定義されています。改葬をする場合は、市町村長の許可が必要です。

一方、散骨は「別の墓や納骨堂へ移す」こととは違います。厚生労働省も散骨について、墓地・埋葬等のページで事業者向けガイドラインを案内しています。

そのため、納骨堂から取り出した遺骨を散骨する場合の具体的な手続きについては、最初から「改葬と同じ」と決めつけず、現在遺骨がある納骨堂の管理者や所在地の自治体、利用する散骨事業者に確認するのが確実だと思います。

厚生労働省「墓地・埋葬等のページ」

散骨なら、どこにでも遺骨をまいていいわけではない

これも注意したいところです。

墓地埋葬法では、焼骨を墓地以外の場所に「埋蔵」することは禁止されています。

また、厚生労働省は散骨について事業者向けのガイドラインを掲載しています。つまり、「散骨だから何をしても自由」と考えるのではなく、周囲への配慮も含めて適切に行う必要があります。

私は自分で散骨するのではなく、業者にお願いしました。

私が業者に求めたのも、

「きちんとルールに沿って散骨してほしい」

ということだけでした。

遺骨を郵送した

私は遺骨を散骨業者へ送りました。

配送方法についても、利用する散骨事業者から指定された方法を確認した方がいいと思います。

日本郵便のゆうパックは、公式ページに送れない物を列挙していますので、発送時には最新の条件を確認できます。

日本郵便「ゆうパック」

私は、こういった実務的なことについては自己判断するより、散骨を依頼する業者に、

「どうやって送ればいいですか?」

と確認して、その方法に従うのが簡単だと思います。

納骨堂も仏壇もなくなった。でも何も変わらなかった

納骨堂をやめました。

遺骨も散骨しました。

仏壇も処分しました。

では、父や祖母とのつながりがなくなったのか。

私は、まったくそう思いません。

写真は今でも飾っています。

たまに写真を見ます。

そして、

「ありがとう」

と話しかけます。

あるいは、

「みんな元気にやっているみたいよ」

と話したりします。

その程度です。

毎日手を合わせるわけではありません。

決まった日に何かをするわけでもありません。

でも、私はそれで十分です。

父や祖母が望んでいることは何だろう

私はときどき考えます。

亡くなった父や祖母が、私に何を望んでいるのか。

毎月墓参りに来てほしい。

納骨堂をきれいにしてほしい。

ずっと遺骨を守ってほしい。

私は、そうではないと思っています。

子供である私が、しっかり生き抜くこと。

父が望んでいるとすれば、それではないでしょうか。

私が元気に生きる。

家族も元気に暮らす。

人生を楽しむ。

それを父に報告できれば、私はそれでいいと思っています。

私自身の墓もいらない

だから、私自身のお墓もいりません。

家族には、

「私が死んだら散骨でいい」

と伝えています。

私は、死ぬというのは体が死ぬことだと思っています。

そして、私自身はそのあとも何らかの形で続いていくと思っています。

これは、あくまで私個人の考えです。

だから、私が死んだあとに骨を残してもらう必要はありません。

墓を建ててもらう必要もありません。

子供たちに墓参りをしてほしいとも思わない

私は、自分が死んだあと、

「子供たちに墓参りに来てほしい」

とも思いません。

これは死んだあとの話だけではありません。

私は今でも、

「子供たちにもっと実家へ帰ってきてほしい」

「もっと顔を見せてほしい」

と思ったことはありません。

子供たちが元気なら、それでいい。

幸せになってほしい。

そして、

自分の力で、しっかり生きていってほしい。

親として望むのは、それだけです。

私の墓のために、子供の時間を使わなくていい

私が死んだあと、子供たちが遠くから墓参りに来る。

管理費を払う。

墓を掃除する。

そして子供たちが年を取ったとき、

「お父さんの墓、これからどうしよう」

と悩む。

私は、そんなものを残したくありません。

私の墓のために、子供たちの時間やお金を使わなくていい。

その時間とお金があるのなら、自分たちのために使ってほしい。

旅行でもいい。

家族との時間でもいい。

何でもいい。

自分たちの人生を生きてほしいと思っています。

納骨堂じまいをして、後悔はまったくない

実際に納骨堂じまいをしてみて、後悔したことがあるか。

まったくありません。

「やっぱり父の遺骨を残しておけばよかった」

と思ったこともありません。

「納骨堂を残しておけばよかった」

と思ったこともありません。

写真を見れば父のことを思い出します。

祖母のことも思い出します。

骨があるかどうかは、私にとって関係ありませんでした。

親戚には、墓じまいを迷っている人もいる

一方で、親戚の中には、お墓や納骨堂をどうするのか迷っている人もいます。

なかなか先へ進めないようです。

それも分かります。

お墓や供養は、簡単な問題ではありません。

親から引き継いだもの。

先祖代々守ってきたもの。

宗教的な考え方。

親戚の考え方。

いろいろなものが関係します。

だから、

「墓じまいした方がいい」

「散骨した方がいい」

と私は言うつもりはありません。

「供養とは何なのか」を自分で考えてみてもいい

ただ、一つ思うことがあります。

供養とは何なのか。

一度、自分で考えてみてもいいのではないでしょうか。

「昔からこうしているから」

「親からそう言われたから」

「みんな墓を持っているから」

「そうするものだから」

それだけで決めなくてもいいと思います。

自分にとって故人を大切にするとはどういうことなのか。

自分が死んだあと、子供に何を残したいのか。

お墓は必要なのか。

遺骨を残す必要があるのか。

自分で考えて、その結果、

「やっぱりお墓を残したい」

なら、それでいいと思います。

お墓を守るのも、散骨するのも、その人が決めればいい

私は、散骨が正しいとは思っていません。

お墓を大切に守りたい人は、守ればいい。

納骨堂を子供に引き継いでもらいたい人もいるでしょう。

永代供養を選ぶ人もいる。

樹木葬を選ぶ人もいる。

散骨する人もいる。

どれが正解というものではないと思います。

私の場合は、

「子供たちに負担を残したくない」

という気持ちが強かった。

そして私は、骨そのものを残すことに意味を感じなかった。

だから散骨を選びました。

ただ、それだけです。

私にとっての供養は「しっかり生きること」

父と祖母の遺骨は、もうありません。

納骨堂もありません。

仏壇もありません。

でも写真はあります。

たまに顔を見て、

「ありがとう」

と言います。

「みんな元気にやっているみたいよ」

と話します。

そして私は、自分の人生を生きています。

私にとっては、それが供養なのだと思います。

父や祖母が喜ぶとすれば、

残された私たちが、元気に、しっかり生き抜くこと。

そして私も、自分の子供たちに同じことを望んでいます。

墓参りなんてしなくていい。

私の骨も残さなくていい。

私のことを定期的に思い出してくれなくてもいい。

元気で、幸せに、自分の人生を生きてくれれば、それでいい。

だから私は、自分の代で納骨堂を終わらせました。

これでよかったと思っています。

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