「今、一番失いたくないものは何ですか?」
そう聞かれたら、何と答えるでしょうか。
お金。
時間。
家族。
健康。
私の場合、どれも失いたくありません。
一つだけ選べと言われるとかなり難しいのですが、それでもあえて選ぶなら、私は健康だと思います。
なぜなら、お金も時間も家族との生活も、ある程度の健康があって初めて成り立つものだと思うからです。
ただ、だからといって私は、健康のために何でも我慢しようとは思っていません。
むしろ、
健康が大事だからこそ、健康のために極端な我慢はしない。
私はそんなふうに考えています。
お金と時間があっても、健康でなければ使えない
私は49歳で会社を辞め、早期退職して7年以上になります。
早期退職するときには、お金のことをかなり考えました。
そして実際に会社を辞めてからは、自由に使える時間が大幅に増えました。
お金も大切ですし、時間も大切です。
でも、今回改めて考えてみると、その土台にあるのは健康なんですよね。
どれだけお金があっても、どれだけ自由な時間があっても、ずっとベッドで寝たままになってしまったら、それを自由に使うことは難しくなります。
だから私にとって健康とは、
今の生活を楽しむための土台
なのだと思います。
健康と楽しい生活が別々にあって、どちらを選ぶかという話ではありません。
健康という土台の上に、今の私の生活が乗っているのです。
私にとっての健康は「病気がないこと」ではない
では、私にとって健康とは何なのか。
必ずしも、
「病気が一つもないこと」
ではありません。
多少病気があったとしても、自分で歩ける。
自分で食事ができる。
自分でトイレに行ける。
遊びに行ける。
旅行にも行ける。
好きな投資もできる。
自分のことを自分でできて、自分の意思で生活できる。
私は、そういう状態であれば十分なんじゃないかと思っています。
逆に私が怖いのは、病名がつくことそのものより、自分でいろいろなことができなくなることなのかもしれません。
だから、私ができるだけ長く維持したいのは「病気がまったくない状態」というより、
自分の生活を自分で送れる状態
なのだと思います。
でも、健康のために特別なことはしていない
これだけ健康が大切だと言っておきながら、私は健康のために特別なことをしているわけではありません。
散歩はしています。
ただ、
「健康のために歩かなければならない」
と思って歩いているわけではありません。
歩きたいから歩いている。
散歩をしたいから散歩している。
結果として、それが健康にもつながっているのかもしれません。
以前は散歩の途中で階段の上り下りもしていました。
ところが、しばらくすると膝が少し痛くなってきました。
そこで階段はやめました。
「階段を歩くことは体にいいはずだから、健康のために続けなければ」
とは考えませんでした。
健康にいいと言われることでも、やりすぎれば自分の体には負担になることもある。
私はそう考えています。
食事も「少し気をつける」くらい
食事については、できるだけ食べすぎないようにはしています。
食べすぎて体重が増えれば、体への負担も増えるでしょう。
ですから、少し軽めに食べることは意識しています。
でも、かなり厳しい食事制限をしているわけではありません。
小麦を一切食べない。
油物は一切食べない。
砂糖を完全にやめる。
炭水化物を一切食べない。
添加物の入ったものは一切口にしない。
私は、そこまでのことはしていません。
もちろん、そうした食生活を自分が納得して実践している人を否定するつもりもありません。
本人が好きでやっていて、それで調子がいいのであれば、それでいいと思います。
私がやりたくないのは、
健康になるために、自分がつらいと感じるほど極端な我慢を続けること
です。
「我慢しない」のではなく、「極端に我慢しない」
ここは少し誤解されそうなので、はっきり書いておきたいと思います。
私は、
「健康のために好きなことを我慢したくない」
と言っているわけではありません。
多少は我慢します。
食べすぎないようにする。
量を少し減らす。
やりすぎないようにする。
そうした節制は必要だと思っています。
ただ、
健康のために好きなことを「極端に」我慢してまで長生きしたいとは思わない。
ということです。
「好き放題に生活すればいい」という話でもありません。
かといって、
「健康のためなら、好きなものをすべてやめる」
というのも私には合いません。
私には、その中間くらいがちょうどいいのだと思います。
健康情報が多すぎて、疲れてしまわないだろうか
今は健康に関する情報が本当に多いですよね。
テレビを見ても、ネットを見ても、YouTubeを見ても、
「これは体にいい」
「これは食べない方がいい」
「これを食べると病気になる」
「これを毎日やった方がいい」
といった情報が次々に入ってきます。
一つ一つを気にしていたら、
「あれもダメ」
「これもダメ」
「これをやらなければ」
となってしまいます。
私は、そうした情報を追いかけすぎることで、かえってストレスを抱えてしまうこともあるんじゃないかと思っています。
ここからは、あくまで私個人の考えです。
私は、健康を考えるときには、身体だけではなく精神面も非常に大切だと思っています。
健康になるために始めたことなのに、
「これを食べてはいけない」
「絶対にこれを守らなければならない」
と自分を追い込み、それが強いストレスになってしまう。
それは本当に健康的なのだろうか。
私は疑問に思います。
ストレスと体調や免疫機能には関係があると私は理解していますし、少なくとも私自身は、精神的に自分を追い詰めるような健康法を続けたいとは思いません。
だから私は、健康情報に接したときも、
「体にいいらしいから、絶対にやらなければ」
とは考えないようにしています。
「これさえやれば健康」というものはあるのだろうか
そもそも私は、
「これをやれば必ず健康になります」
というものが本当にあるのだろうかと思っています。
人によって体も違います。
年齢も違います。
生活環境も違います。
同じ運動でも、ある人にはちょうどよくても、別の人には負担になることがあるでしょう。
私の散歩の階段が、まさにそうでした。
もちろん、実際に病気になったときの治療や、医師から受ける医学的な助言の話とは別です。
私がここで言っているのは、日常生活の中で次々に目にする、
「健康のためには○○をした方がいい」
「○○は食べない方がいい」
といった健康情報との付き合い方です。
情報を知ることは悪くありません。
ただ、その情報によって自分の生活が苦しくなるところまで追い込む必要はない。
少なくとも私はそう考えています。
80歳まで楽しむか、我慢して90歳まで生きるか
今回、こんな質問をされました。
「好きなものを食べ、好きなように過ごして80歳まで生きる人生と、かなり我慢して健康管理を徹底して90歳まで生きる人生なら、どちらを選びますか?」
私は前者を選ぶと思います。
ただ、これも正確に言えば、
「何も気にせず好き放題に生きて80歳」
を選びたいわけではありません。
私が理想だと思うのは、
適度に節制しながら、好きなことも楽しむ生活
です。
それで結果的に80歳までだったとしても、極端な我慢を続けて90歳まで生きるより、私はそちらを選ぶと思います。
もちろん、本当に80歳と90歳になるのかなんて誰にも分かりません。
だからこそ、今の生活と将来の健康の両方を考えながら、極端にならないところを探していけばいいんじゃないでしょうか。
長生きそのものが目的ではない
私は、ただ長生きすることを目的にはしていません。
できるだけ長く、
自分で歩ける。
自分で食べられる。
自分でトイレに行ける。
旅行に行ける。
外食に行ける。
投資ができる。
自分がやりたいと思ったことを、自分でできる。
そんな状態でいたいと思っています。
それが私にとっての「健康」なのだと思います。
もし健康を失ったら、そのときはそのときで考える
もちろん、どれだけ気をつけても病気になることはあるでしょう。
ケガをするかもしれません。
今までできていたことが、できなくなる日が来るかもしれません。
もし本当にそうなったら、私はかなり落ち込むと思います。
「じゃあ、今できることを楽しもう」
なんて、すぐに気持ちを切り替えられるとは思いません。
今まで歩けていたのに歩けなくなった。
旅行に行けなくなった。
好きだったことができなくなった。
そんなことが起きれば、落ち込むのは当然だと思います。
でも、ずっと落ち込んでいても何も変わりません。
しばらく時間がたったら、
「じゃあ、これからどうしようかな」
と考えるようになるんじゃないでしょうか。
そのときの自分にできること。
その状態でも楽しめること。
それをまた探していくしかないと思っています。
健康は大事。でも健康のためだけに生きているわけではない
今回考えてみて、やはり私が一番失いたくないものは健康でした。
でも、健康そのものが人生の目的ではありません。
健康は、今の生活を送るための土台です。
だから大切にしたい。
多少の節制もする。
でも、その健康を守るために、今の生活が極端な我慢ばかりになってしまうのは、私には少し違うように感じます。
好きなものを少し控える。
食べすぎないようにする。
歩きたいから散歩する。
体に痛みが出たら無理をしない。
そのくらいでいいんじゃないか。
私は今のところ、そう考えています。
健康については、本当にたくさんの情報があります。
だからこそ、
「これは健康にいいのか」だけではなく、「これは自分にとって無理なく続けられるのか」
という見方もあっていいのではないでしょうか。
身体だけではなく、精神的にも無理をしすぎない。
そして、できるだけ長く自分のことを自分でできる状態で、今の生活を楽しむ。
56歳の私にとっては、それがちょうどいい「健康との付き合い方」なのだと思っています。


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