49歳で早期退職してから、7年以上が経ちました。
会社員だったころの私は、それなりに頑張っていたと思います。
営業の仕事をしていたので、売上目標がありました。
当然、お客さんが思うように商品を買ってくれないこともあります。
その目標を達成するために、
「どうすれば使ってもらえるだろう」
「次は何をすればいいだろう」
と考えながら、毎日のように何らかの行動をしていました。
「頑張る」という言葉を、
困難に負けず、目標に向かって進んでいくこと
と考えるのであれば、会社員時代の私は確かに頑張っていたのでしょう。
では、早期退職した今の私はどうなのか。
考えてみると、今はあまり「頑張っている」という感覚がありません。
というより、今の生活には、そもそも頑張らなければならないことがあまりないのです。
今の私には、大きな目標も大きな困難もない
私は今も投資をしています。
投資については、自分なりの目標もあります。
例えば、今は月に2,000ドルくらいは利益が欲しいと思っています。
それを毎月クリアできればうれしいですし、3,000ドル、5,000ドルとなれば、さらにうれしい。
ただ、それを私は「頑張っている」とはあまり思いません。
投資の目標をもっと高く設定することもできます。
「これだけ稼ぐぞ」
と高い目標を掲げれば、それを達成するためにもっと頑張らなければならなくなるでしょう。
でも、投資の場合、それは危険でもあります。
高すぎる目標を達成しようとすれば、無理なリスクを取ることにもつながります。
最悪の場合、大きなお金を失う可能性もあります。
それなら、無謀な目標など最初から立てない方がいい。
会社員時代は会社から目標を与えられました。
今は自分で目標を決められます。
だったら、わざわざ自分を苦しめるような目標を作る必要はないと思っています。
大きな達成感は、確かに気持ちよかった
もちろん、大きな目標を達成する喜びを否定するつもりはありません。
会社員時代、難しい目標を達成したときには、
「やった」
という大きな達成感がありました。
あれはあれで、気持ちのいいものでした。
ただ、振り返ってみると、そんな経験がしょっちゅうあったわけではありません。
年に1回。
あるいは数年に1回。
そのくらいだったように思います。
そもそも、大きな達成感を毎月のように味わおうとすれば、どうなるのでしょう。
同じ目標を達成しても、だんだん慣れてしまうでしょう。
そうすると、もっと高い目標が必要になる。
さらに高い目標を達成すれば、今度はもっと上へ。
それを繰り返していたら、いつか簡単には達成できなくなります。
そこまでして、大きな達成感を追い続ける必要があるのだろうか。
今の私は、そう思います。
今は、小さな達成感で十分楽しい
大きな達成感がなくなったからといって、今の生活を物足りないとは感じません。
むしろ、小さな達成感はいろいろあります。
投資で自分なりの目標をクリアする。
それだけでもうれしい。
最近はストレッチもしています。
別に、
「何か月後までに、ここまで柔らかくする」
などという目標を立てたわけではありません。
ただ続けていたら、以前より体が柔らかくなってきました。
本当に小さなことです。
でも、
「前より変わったな」
と感じる。
これも一つの達成感なんだと思います。
大きな山に登らなくてもいい。
昨日より少しできるようになった。
先月より少し良くなった。
今の私には、そのくらいがちょうどいいのかもしれません。
大きな目標を持つ人生も、それはそれでいい
もちろん、大きな目標を持って生きることが悪いとは思いません。
会社を辞めたあと、
「資格を取りたい」
「事業を始めたい」
「資産1億円を目指したい」
と思う人がいてもいいでしょう。
それに向かって頑張ることが楽しいのであれば、それもいい生き方だと思います。
私自身、これから何か大きなことをやりたいと思う可能性もあります。
そのときは、やればいい。
私が違和感を覚えるのは、
「大きな目標を持たなければならない」
と最初から決めてしまうことです。
やりたいことをやっていたら、それが結果として大きな目標になった。
それなら自然です。
でも、
「せっかく早期退職したんだから、何か大きなことをしなければ」
と無理に目標を作る必要はないと思っています。
退職したら、趣味を見つけなければならないのか
これは早期退職や定年退職の話にも通じます。
会社を辞めると、
「趣味を持った方がいい」
「社会とのつながりを持った方がいい」
「生きがいを見つけた方がいい」
そんな話をよく聞きます。
それが必要な人もいるでしょう。
でも、全員に必要なのでしょうか。
仕事を辞めて、一日中家にいる。
特に何もせず、ぼーっとしている。
そして、
「俺はいったい何をしているんだ」
と思ってしまう。
でも、なぜ自分を責める必要があるのでしょう。
そこには、
「人間は何かをしていなければならない」
という考えがあるように思います。
その考えを持っているから、何もしていない自分を見て、
「こんな自分では駄目だ」
と思ってしまう。
でも私は、別に何もしなくてもいいと思っています。
今日は何もしなかった。
それでもいい。
Aでもいいし、Bでもいい
私が最近考えるのは、何事も偏りすぎない方がいいということです。
やりすぎない。
決めつけない。
「こうあるべき」
「こうしなければならない」
をできるだけ少なくする。
Aでもいい。
Bでもいい。
場合によっては、どちらも選ばなくてもいい。
何もしない自分でもいい。
そう考えられれば、ずいぶん肩の力を抜いて生きられるような気がします。
私は早期退職してから、いろいろな本を読みました。
特に仏教について勉強する中で、こうした考え方について改めて考えるようになりました。
ただ、まったく新しい考え方を外から教えてもらったという感覚でもありません。
おそらく、もともと私の中にあったものだと思います。
それが会社を辞めて時間ができ、本を読んだり考えたりする中で、少しずつ自分の中から出てきた。
そんな感じがしています。
56歳の私が「しなければならない」と思うこと
では今の私に、
「絶対にこうしなければならない」
と思っていることは何か。
考えてみると、一つだけあります。
生きることです。
逆に言えば、死んではならない。
生きるためには、お金も必要です。
食べ物も必要です。
飲み物も必要です。
電気も必要でしょう。
そういう、生きていくために必要なことはやらなければなりません。
でも、それ以外はどうでしょう。
56歳ならこうあるべき。
退職したら趣味を持つべき。
社会とつながっているべき。
何か目標を持つべき。
成長し続けるべき。
何かを成し遂げるべき。
私は、そこまで考えなくてもいいんじゃないかと思っています。
もう少し肩の力を抜いて生きていきたい
会社員だったころの私は、目標があり、その目標を邪魔する困難があり、それを乗り越えるために行動していました。
それはそれで一つの生き方だったと思います。
大きな目標を達成したときには、大きな喜びもありました。
だから、あのころの生き方を否定するつもりはありません。
ただ、56歳になった今の私は、もう少し肩の力を抜いて生きていきたいと思っています。
大きな目標がなくてもいい。
小さな目標でもいい。
何も目標がない時期があってもいい。
頑張りたいときは頑張ればいいし、頑張りたくないときは無理をしなくてもいい。
やりたいことが出てきたら、そのときにやればいい。
それが大きなことになるのか、小さなことで終わるのかも分かりません。
でも、それでいいんじゃないでしょうか。
「こうでなければならない」と一つに決めない。
Aでもいいし、Bでもいい。
何もしない日があってもいい。
そんなふうに、自分に少し余白を残しておく。
これからの私は、何か大きなものを必死に追いかけるよりも、そんな生き方をしていきたいと思っています。


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