死んだ後は忘れられてもいい。私が家族に残したいもの

人間関係・家族・孤独

「自分が死んだ後、家族にどんな人だったと覚えていてほしいですか?」

そんなことを聞かれました。

私の答えは、

「別にどう思われても構わない」

でした。

冷たいと思われるかもしれません。

でも、本当にそう思っています。

人は少しずつ忘れていくものだと思う

2026年に母が亡くなりました。

母が亡くなった直後と今では、やはり違います。

少しずつ母のことを考える時間は減ってきています。

忘れている部分もあると思います。

でも、それでいいのではないでしょうか。

人間はずっと亡くなった人のことばかり考えて生きていくことはできません。

残された人には、その人の人生があります。

前へ進んでいかなければなりません。

だから私が死んだ後も、子どもや孫には少しずつ私のことを忘れてもらって構いません。

むしろ、それが普通なのだと思います。

自分の名前を残したいとは思わない

私は、自分が死んだ後まで評価されたいとは思いません。

「お父さんは立派な人だった」

と言ってもらわなくてもいい。

孫たちに、

「おじいちゃんはこんな人だった」

といつまでも語り継いでもらう必要もありません。

何十年もたてば、私のことを知っている人はいなくなります。

それでいいと思っています。

でも、残してあげたいものはある

自分の名前を残したいとは思いません。

でも、子どもや孫に残してあげたいものはあります。

それは、お金です。

お金というと味気なく聞こえるかもしれません。

でも、私にとってお金は単なる数字ではありません。

お金があれば、選択肢を残すことができます。

例えば孫が将来、

「これを勉強したい」

と思ったとき。

お金がないという理由だけで諦めなければならないこともあります。

子どもたちも同じです。

今は普通に暮らしていても、将来何が起こるか分かりません。

会社がどうなるかも分かりません。

何か大きな問題が起こるかもしれません。

そんなとき、お金が少しあるだけで選べる道が増えることがあります。

残したいのは、自分の名前ではなく家族の選択肢

以前、自分にとってお金とは何なのかを考えたことがあります。

そのとき出てきた答えが、

「人生の選択肢を失わないためのもの」

でした。

早期退職できたのも、お金があったからです。

働かないという選択肢を持てたのも、お金があったからです。

何かあったときに慌てなくて済むのも、お金があるからです。

だったら、自分が死んだ後も同じです。

私のことを覚えていてもらう必要はありません。

その代わり、私が残したお金によって、子どもや孫が何かを諦めずに済む。

それなら十分です。

残したいのは、自分の名前ではありません。

家族の選択肢です。

生きている間は一緒にいたい

だからといって、家族との思い出がどうでもいいわけではありません。

むしろ逆です。

死んだ後に覚えていてもらうことには、あまり興味がありません。

でも、生きている間は一緒に時間を過ごしたい。

一緒にご飯を食べる。

旅行する。

孫たちと遊ぶ。

みんなでバーベキューする。

そういう時間は大切にしたいと思っています。

死んだ後の思い出より、生きている今の時間の方が私には大切です。

忘れられても構わない

いつか私も死にます。

そして時間がたてば、少しずつ忘れられていくでしょう。

それでいいと思っています。

子どもたちには子どもたちの人生があります。

孫たちには孫たちの人生があります。

私のことをいつまでも覚えている必要はありません。

その代わり、できることなら、私が残したものによって彼らの人生の選択肢が少し増えていてほしい。

そして私が生きている間は、一緒に楽しく過ごしたい。

私が家族に残したいものは、思っていたより単純なのかもしれません。

名前ではなく、選択肢。

思い出してもらうことより、一緒に過ごせる今の時間。

今はそんなふうに思っています。

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