私は現在56歳です。
49歳で会社を早期退職してから、7年以上がたちました。
最近、自分の人生を振り返っていて、少しずつ感じるようになったことがあります。
それは、
「自分に課せられた大きな役目も、そろそろ終わりが見えてきたのかな」
ということです。
若いころから今まで、振り返ってみれば自分のことだけを考えて生きてきたわけではありません。
子供が生まれれば、育てなければなりません。
子供が大人になったら、今度は親が年を取っていきます。
病院へ連れて行ったり、買い物に連れて行ったり、必要なことを手伝うようになります。
そうやって人生の中で、自分がやるべきことは少しずつ変わってきました。
そして56歳になった今、その先にあるゴールのようなものが、少しずつ見えてきた気がしています。
私が考える親の仕事は、子供を一人で生きていけるようにすること
私には息子と娘がいます。
私が考える親の大きな仕事の一つは、
子供を育てて、一人で生きていけるようにすること
です。
もちろん、これは私個人の考えです。
子供は親のペットでも何でもありません。
子供には子供の人生があります。
だから親がいつまでも子供の人生に関わり続けるのではなく、最終的には親がいなくても一人で生きていけるようにする。
そのために、必要な間はサポートする。
私はそれが親の役目ではないかと思っています。
子供が大人になれば、親がやることは少しずつ減っていく
娘については、今のところ自分で生活できていると思います。
息子については、少し頼りないところもあります。
それでも、もう大人です。
親として、これ以上ずっと何かをやり続ける段階ではないと思っています。
これは、
「これから子供が困っても一切助けない」
という意味ではありません。
何かあれば、親として手伝うこともあるでしょう。
ただ、子供の人生そのものを親が背負って生きていくわけではありません。
子供が大きくなるにつれて、親が手伝うことは少しずつ減っていく。
そして、いつかは逆になるのだと思います。
親が年を取れば、今度は子供に手伝ってもらうことが増えてくるかもしれません。
私自身もそうでした。
若いころは親にいろいろなことをしてもらいました。
しかし親が年を取ってからは、今度は私が親を手伝う側になりました。
人生というのは、そうやって少しずつ立場が変わっていくものなのかもしれません。
子育ての次にあったのが、親を見送ることだった
子供が大きくなったあと、私に残っていた大きな役目の一つが親の面倒を見ることでした。
母が生きていたころは、病院へ連れて行ったり、買い物へ連れて行ったりしていました。
それを「やりたくないこと」と思っていたわけではありません。
自分がやるべきことだと思っていました。
そして、自分の両親については、もう見送りました。
私の中では一つの大きな役目が終わったことになります。
今、残っているのは妻の両親です。
二人とも存命です。
これから何があるのかは分かりません。
介護が必要になるかもしれませんし、それほど必要にならないかもしれません。
ただ、必要になれば、できることはやっていくことになると思います。
そして最終的に二人を見送る。
少し大げさな言い方かもしれませんが、私はそれを、
「自分に残された最後の仕事」
のように感じています。
そこまで終わったら、もう自分に課せられたものはないのかもしれない
子供を育てる。
子供が一人で生きていけるようにする。
年を取った親を手伝う。
そして親を見送る。
そこまで終われば、私に課せられた大きな役目は、もうほとんどないのではないかと思っています。
もちろん、人生ですから何が起こるか分かりません。
これから新しく何かをしなければならない状況になる可能性もあります。
それでも今の私には、人生の中で自分がやるべきだと思ってきたことのゴールが、少しずつ見えてきたように感じます。
そして、それを寂しいとはあまり思いません。
どちらかといえば、
少し気持ちが軽くなるように感じています。
これからは自分のために時間を使ってもいい
親の世代まで見送ることができたら、そのあとは夫婦二人で生きていければいい。
今の私は、そんなふうに考えています。
言い方によっては、
「これからは自分本位に生きる」
ということになるのかもしれません。
ただ、「自分本位」という言葉では少し誤解されそうです。
誰かのことを考えなくなるとか、自分さえよければいいという意味ではありません。
私が言いたいのは、
これからは、もっと自分のために時間を使ってもいいのではないか
ということです。
子供のために使う時間があった。
親のために使う時間もあった。
そして、それぞれの役目が少しずつ終わっていく。
そうすれば、今度は自分のために使える時間が増えてもいい。
私は、そういう年齢になってきたのだと思っています。
56歳だから、というだけではない
ただし、これは単純に、
「56歳になったら自分のために生きればいい」
という話ではありません。
もし私が56歳でも、子供がまだ高校生だったらどうでしょう。
当然、
「まだ親としてやるべきことがある」
と思っているでしょう。
今の私の場合は、年齢だけではありません。
子供たちが大人になった。
子育てがほぼ終わった。
自分の親を見送った。
そして妻の両親も、見送ることを考える年齢になってきた。
いくつかの条件が重なって、
「自分がやるべきことのゴールが見えてきた」
という感覚になっているのだと思います。
だから同じ56歳でも、人によってまったく違うでしょう。
人生のどの段階にいるかによって、まだ背負っているものも違うと思います。
役目がなくなったからといって、新しい役目を作る必要もない
そして、もう一つ思うことがあります。
子育てが終わった。
親も見送った。
仕事も早期退職した。
そうなると、
「これから何を目標に生きるのか」
「第二の人生の生きがいを見つけなければ」
と考える人もいるかもしれません。
でも私は、特別大きな目標を作ろうとは思っていません。
自然に目標ができれば、それでいいと思っています。
例えば今の私なら投資をやっています。
家庭菜園もやっています。
ブログも書いています。
旅行にも行きます。
その中から、
「今度はこれをやってみよう」
というものが自然に出てくれば、それをやればいい。
でも、
「これからの人生のために、何か大きな目標を作らなければならない」
と力む必要はないと思っています。
せっかく「やらなければならないこと」が減ってきたのに、自分で新しい「やらなければならないこと」を作る必要もないでしょう。
人生には、自分以外の人のために時間を使う時期がある
振り返ってみれば、人生にはいろいろな時期がありました。
子供が小さかったころは、子供のために時間を使う。
子供が大きくなれば、少しずつその時間は減っていく。
そのころには親が年を取り、今度は親を手伝う時間が増えていく。
そして親を見送る。
私の場合、今はその最後のあたりに来ているのだと思います。
だから最近、
「そろそろ自分のために時間を使ってもいいんじゃないか」
と思うようになりました。
何か立派なことをする必要はありません。
大きな目標も必要ありません。
夫婦で旅行に行ってもいい。
投資を楽しんでもいい。
家庭菜園をやってもいい。
何もしない日があってもいい。
自然にやりたいことが出てきたら、それをやればいい。
あとは夫婦二人で生きていければ、それでいい
私は早期退職したことで、会社員としての役目からは49歳で離れました。
そのあとも、親としての役目がありました。
子供として親を支える役目もありました。
そういうものが、一つずつ終わっていきます。
それを寂しいとは、今のところあまり感じません。
むしろ、
「ここまで来たんだな」
という感じです。
妻の両親を最後まで見送ることができれば、私が人生の中で自分に課せられていると思ってきた大きな仕事は、ほぼ終わるのかもしれません。
その先は、夫婦二人で生きていければいい。
そして、自分たちの時間を自分たちのために使っていく。
何か目標ができれば、それを楽しむ。
なければ、無理に作らない。
子供や親のために使ってきた時間が少しずつ自分のところへ戻ってくる。
56歳の今、私はそんな人生の段階に入ってきたような気がしています。


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