私は今56歳です。
最近、車を運転していて思うことがあります。
「若いころより、反射が落ちたな」
と。
今すぐ運転をやめなければならないほどではありません。
私はゴールド免許ですし、事故を起こしたのも免許を取ったばかりのころの一度だけです。
それでも、自分では分かります。
若いころと同じではありません。
だから私は、できればあと10年くらい、65歳くらいになったら車の運転をやめたいと思っています。
運転ができなくなるまで続けたいのではありません。
できるうちに、自分からやめたい。
そして、できればこのまま事故を起こさず、私の運転人生を終えたいと思っています。
自分が事故に遭うことより、人を巻き込むのが怖い
私が運転をやめたい一番の理由は、自分が事故に遭うのが怖いからではありません。
怖いのは、
人を巻き込んでしまうことです。
自分の判断が遅れた。
ブレーキを踏むのが遅れた。
歩行者に気づくのが遅れた。
たったそれだけで、他人の人生を変えてしまうかもしれません。
そして、相手の人生だけではありません。
自分の人生も変わります。
これまで何十年も大きな事故を起こさずに運転してきたのに、人生の最後の方になって大きな事故を起こす。
私は、そんなことにはなりたくありません。
だから、
「まだ運転できるか」ではなく、「安全に運転できるか」
で考えたいと思っています。
運転能力は必ず落ちると思う
私は、自分だけは年を取っても運転能力が落ちない、とは思っていません。
今でも落ちていると感じるのですから、10年後は今より落ちているでしょう。
反射も遅くなる。
視力も落ちるかもしれない。
注意力も落ちるでしょう。
それは仕方がありません。
年を取るのですから。
私が本当に怖いと思うのは、能力が落ちることではありません。
能力が落ちていることを、自分で認められなくなることです。
70歳になった私が、
「俺はゴールド免許だから大丈夫」
「何十年も事故を起こしていないから大丈夫」
「まだ普通に運転できる」
そう言い張っていたら、その方が怖いと思います。
「まだできる」と言い張る老人にはなりたくない
これは車だけの話ではありません。
年を取れば、今できていることが少しずつできなくなっていくと思います。
重いものを持てなくなる。
高いところに上れなくなる。
長い距離を歩けなくなる。
車の運転が危なくなる。
お金の管理が難しくなることだってあるかもしれません。
そんなときに、
「昔はできた」
「まだ大丈夫」
と言い張って、何でも自分でやろうとする老人にはなりたくありません。
できなくなったことを、素直に手放せる老人になりたい。
私はそう思っています。
そう思うのは、母を見てきたから
私がそう考えるようになったのは、母を見てきたことが大きいと思います。
母は、何でも自分でやろうとしました。
本人としては、
「まだ自分でできる」
と思っていたのでしょう。
人に迷惑をかけたくないという気持ちもあったのかもしれません。
でも、家族からすると違います。
心配でしかないのです。
「それは危ないからやらなくていい」
と言っても、自分でやろうとする。
本人は大丈夫だと思っていても、見ている家族はヒヤヒヤします。
その経験があるので、私は自分が年を取ったときには、できるだけ家族の言うことを聞こうと思っています。
何でもやめればいいわけではない
だからといって、年を取ったら何でも人にやってもらえばいい、とは思いません。
自分で安全にできることなら、自分でやればいい。
歩けるなら歩く。
買い物に行けるなら自分で行く。
家のことができるなら自分でする。
何でも家族にやってもらう必要はありません。
私が手放したいのは、
「できないこと」ではなく、「危なくなったこと」
なのかもしれません。
できることは自分でする。
危ないことは人にお願いする。
私は、そのくらいがちょうどいいと思っています。
問題は、自分で「危ない」と判断できなくなること
ただ、ここには難しい問題があります。
年を取れば、
何が危なくて、何が安全なのかを判断する能力そのものが落ちるかもしれません。
自分では、
「大丈夫」
と思っている。
でも家族から見れば、明らかに危ない。
そんなことが起きると思います。
だから私は、子供から、
「お父さん、もう運転はやめた方がいいよ」
と言われたら、やめると思います。
自分ではまだ運転できると思っていたとしてもです。
子供が私の運転を見て、
「怖い」
と感じたのであれば、何か理由があるのでしょう。
事故を起こしてからでは遅い。
だったら、やめればいいと思います。
車を手放したあと、どうするのか
ただし、
「危ないから運転をやめよう」
だけでは話は終わりません。
車をやめたら、
その後、どうやって移動するのか。
これも考えておかなければなりません。
買い物に行く。
病院に行く。
外食する。
旅行に行く。
車を運転しなくなっても、移動する必要はあります。
公共交通機関を使えばいいのかもしれません。
でも10年後、今より便利になっているとは限りません。
人手不足で、バスや電車が減っている可能性だってあります。
そうなれば、
「運転は危ない。でも車がなければ生活できない」
ということになってしまいます。
だから私は自動運転に期待している
私は、10年後には自動運転がかなり普及していてほしいと思っています。
自動運転のタクシーが町中をたくさん走っている。
呼べば迎えに来てくれる。
料金も今のタクシーより安い。
そんな時代になっていたら、私は喜んで自分で運転するのをやめると思います。
人間は完璧ではありません。
イライラしている日もあります。
急いでいる日もあります。
疲れて注意力が落ちている日もあります。
機械にも当然リスクはあるでしょう。
それでも将来、人間が運転するより自動運転の方が安全だと判断できる時代になれば、私はそちらを選びたいと思っています。
私は車を運転することにこだわっているわけではありません。
自由に移動できれば、それでいいのです。
車だけではない。できなくなった後を考えておく
これは、運転以外にも言えることかもしれません。
年を取って、できなくなった。
そこで終わりではありません。
では、その代わりをどうするのか。
車を運転できないなら、タクシーを使う。
重いものを持てないなら、誰かにお願いする。
買い物に行けないなら、配達してもらう。
家の管理ができないなら、人に頼む。
自宅で生活すること自体が難しくなったら、施設に入ることも考える。
できなくなったことを手放すには、その代わりになるものも必要です。
これも老後の準備なのだと思います。
「もう夫婦二人で暮らすのは危ない」と言われたら
さらに年を取ったら、もっと大きなことを手放す日が来るかもしれません。
例えば子供から、
「もう夫婦二人だけで、この家で生活するのは危ないよ」
と言われる。
施設に入った方がいいと言われる。
今の私なら、
「どうして?」
と理由を聞くでしょう。
でも、そのときの私が認知症になっていたら、理由を説明されても理解できないかもしれません。
自分では、
「まだ大丈夫」
と思っている。
でも、その「大丈夫」という判断自体が信用できなくなっている可能性があります。
そのときは、子供の判断に従うしかないと思っています。
もちろん、施設に入るためのお金があることが前提ですが。
老いては子に従え
昔から、
「老いては子に従え」
という言葉があります。
若いころなら、
「自分の人生なんだから、自分で決めればいい」
と思います。
私も基本的にはそう思っています。
でも、年を取れば少し違ってくるのかもしれません。
子供よりも自分の判断力が落ちている。
それでも、
「俺のことは俺が一番分かっている」
と言い続ける。
それは怖いと思います。
75歳、80歳になった自分よりも、50代になった子供の方が冷静に判断できることもあるでしょう。
だったら、最後は子供の判断を信じてもいい。
自分の判断力が衰えることまで含めて、老いなのだと思います。
老後のお金は「手放すため」にも必要なのかもしれない
ここまで考えると、老後にお金を残しておく意味も少し変わってきます。
旅行をするため。
おいしいものを食べるため。
趣味を楽しむため。
もちろん、それも大切です。
でも年齢を重ねるほど、
自分でできなくなったことを、誰かに代わってもらうためのお金
も必要になるのかもしれません。
車をやめたらタクシー代が必要になる。
家事ができなくなったら、サービスを利用する。
自宅で暮らせなくなったら、施設のお金が必要になる。
若いころは、お金があれば「できること」が増えます。
年を取ると、お金があることで**「無理して自分でやらなくてもいいこと」が増える**のかもしれません。
それも老後にお金を持っておく意味なのでしょう。
できなくなることは、悪いことではない
私は、年を取ればできないことが増えていくと思っています。
それは仕方ありません。
問題は、できなくなることではない。
できなくなった自分を認められるかどうか。
私は、そこが大切だと思っています。
運転が危なくなったら、車を手放す。
一人でできないことが増えたら、人に頼る。
夫婦だけで暮らすのが危なくなったら、施設も考える。
そして、自分でその判断ができなくなったら、家族の判断を信じる。
何でもかんでも諦める必要はありません。
安全にできることは、できる限り自分でやればいい。
できることは自分でする。
危ないことは手放す。
私は、そんなふうに年を取っていきたいと思っています。
そしていつか子供から、
「お父さん、もうそれはやめた方がいいよ」
と言われたとき、
「まだできる!」
と言い張るのではなく、
「そうか。じゃあ、お願いするよ」
と言える老人になれたらいいなと思っています。


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