先日、「定年後、不幸せに過ごす人の特徴」について書かれた記事を読みました。
その記事で印象に残ったのが、
定年後に本当に怖いのは、お金よりも「居場所」を失うこと
という話です。
長く働いてきた会社を定年退職する。
それまで毎日のように通っていた会社がなくなり、人とのつながりもなくなる。
地域にも特に付き合いがなければ、日々の暮らしの中で孤立してしまう人もいるそうです。
その解決方法の一つとして、働くことも挙げられていました。
仕事をすることで人とのつながりができ、自分の居場所を作ることができる。
そんな内容だったと思います。
読んでいて、
「そういうものなのかな」
と思う一方で、正直なところ、私にはあまり実感がありませんでした。
私は49歳で会社を辞めて、すでに7年ほど経っています。
でも、
「会社を辞めて、自分の居場所がなくなった」
と思ったことがないからです。
そもそも「居場所」って何だろう
この記事を読んでいて、そもそも居場所とは何なのだろうと思いました。
単純に考えれば、自分が落ち着いていられる場所でしょうか。
あるいは、自分という存在を確認できる場所。
「自分はここにいていい」
「自分はここで生きている」
そう思える場所なのかもしれません。
例えば定年退職して、毎日家にいるようになったとします。
奥さんから、
「毎日家にいないで、どこかに行ってよ」
と言われる。
これなら「家に自分の居場所がない」というのも何となく分かります。
これはかなり物理的な意味での居場所ですよね。
ところが独身の人が、
「定年退職したら居場所がなくなった」
と言うとしたら、少し意味が違ってきます。
誰にも「家から出ていけ」と言われません。
自分の家にいればいいわけです。
物理的な居場所はあります。
それでも「居場所がない」と感じるのであれば、その人が求めているのは物理的な場所ではないのでしょう。
誰かから自分を認識してもらえる場所。
自分が安心できる場所。
自分という存在を確認できる場所。
そういう精神的、社会的な意味での「居場所」なのではないかと思います。
私にとって会社は「居場所」だったのか
そこで、会社員だったころの自分を振り返ってみました。
私は、
「会社から必要とされている」
「同僚から必要とされている」
「お客さんから必要とされている」
ということを、それほど考えたことがありませんでした。
もちろん仕事ですから、上司から評価されることはあります。
年に2回、仕事に対する評価もありました。
でも、
「会社から必要とされているから、自分には価値がある」
というような感覚は、あまり持っていませんでした。
では、私にとって会社とは何だったのでしょう。
考えてみると、
目標に向かって日々活動する場所
だったのだと思います。
会社から示される目標もあります。
自分で設定する目標もあります。
その目標に向かって仕事をする。
私にとって会社とは、そういう場所でした。
だから会社を辞めても、「自分を必要としてくれる場所を失った」という感覚にはならなかったのかもしれません。
退職後、大きな目標があるわけでもない
では、会社を辞めたあと、新しい目標を作ったのか。
実は、そんなこともありません。
もちろん投資はしています。
もっと利益を出せないかと考えて、いろいろな投資方法を調べたりもします。
ブログも書いています。
家庭菜園もします。
妻と外食したり、旅行に行ったりもします。
でも、
「これを絶対に成し遂げたい」
というような大きな目標があるわけではありません。
毎日、かなり平凡です。
朝起きて、その日にやりたいことをやって、一日が終わる。
そんな日々です。
それが何年も続いたら耐えられない人もいるのかもしれません。
でも、私はある程度平気だと思います。
なぜなら、
つらいことがないからです。
毎日が淡々と過ぎていく。
特別なことは何もない。
でも、つらいこともない。
私にとっては、つらい毎日を過ごすことと比べれば、何もない平凡な一日は十分幸せです。
居場所が欲しいなら働けばいい
もちろん、会社を辞めて寂しい人もいるでしょう。
人とのつながりがなくなって、
「自分には居場所がない」
と感じる人もいると思います。
そういう人が働くことには、私はまったく反対しません。
居場所がなくて寂しい。
仕事をすれば人と会える。
そこが自分の居場所になる。
それなら働けばいいと思います。
働くのも働かないのも、個人の自由です。
私の場合は、居場所がないとも思っていませんし、寂しいとも思っていません。
だから、居場所を作るために働こうとは思いません。
「働くことで居場所を作るのは、問題の先延ばしではないか」
ただ、この記事についていたコメントの中に、面白い意見がありました。
その人は、
居場所を作るために働くというのは、問題を先延ばしにしているだけではないか
という趣旨のことを書かれていました。
なるほど、と思いました。
定年退職して居場所がなくなった。
だから再び働く。
それによって、また仕事という居場所ができます。
でも、いつまでも働けるわけではありません。
例えば70歳になって、体力的に仕事を続けられなくなったとします。
すると、また仕事という居場所を失います。
結局、同じ問題がもう一度やってくるわけです。
だとすれば、仕事とは別の居場所を若いうちから作っておいたほうがいいのではないか。
地域のサークルに参加する。
ボランティア活動をする。
趣味の集まりに入る。
仕事と違って定年のない集まりに参加する。
そういう居場所を作るにしても、ある程度の体力は必要です。
だから、できるだけ若いうちに始めたほうがいい。
そんな意見でした。
これは確かに一つの考え方だと思います。
でも、全員が新しい居場所を作る必要があるのだろうか
一方で、私はもう一つ考えてしまいます。
定年退職したら、
地域活動をしましょう。
趣味の仲間を作りましょう。
ボランティアをしましょう。
再就職しましょう。
そうやって新しい居場所を作らなければいけないのでしょうか。
もちろん、それをしたい人はすればいいと思います。
でも、全員に必要なのかというと、私はそうでもないような気がします。
私は会社を辞めてから、新しい組織に所属したわけではありません。
会社員時代の同僚との付き合いも、今ではほとんどありません。
地域活動に積極的に参加しているわけでもありません。
それでも、
「自分には居場所がない」
とは思いません。
では、私の居場所はどこなのだろう。
今回この記事を読んで、改めて考えてみました。
物理的な居場所は家。精神的な居場所は自分自身
物理的な居場所を聞かれたら、私の場合は簡単です。
家です。
では、
「精神的な居場所はどこですか?」
と聞かれたらどうでしょう。
考えてみて、私の答えは、
自分自身
なのだと思いました。
私は私です。
会社員であっても私です。
会社を辞めても私です。
仕事がなくても私です。
肩書きがなくても私です。
他人からどう見られても、私は私です。
それは、どこに行っても変わりません。
何歳になっても変わりません。
だから、
「仕事がなくなったから、自分の居場所がなくなった」
とは感じないのだと思います。
会社を辞めても「僕は僕」
定年後に居場所を失うことがつらい人がいる。
それは、おそらく本当なのでしょう。
そして、そういう人が新しい仕事をしたり、地域活動に参加したりして、新しい居場所を作ることも良いことだと思います。
ただ、私は今回の記事を読んで、
居場所というものは、必ず外に作らなければならないものなのだろうか
とも思いました。
誰かから必要とされなければ、自分の存在を確認できない。
会社に所属していなければ、自分が何者なのか分からない。
肩書きがなくなると、自分の価値までなくなったように感じる。
そういう生き方もあるのだと思います。
でも、私はそうではありませんでした。
49歳で会社を辞めました。
会社員という肩書きもなくなりました。
上司から評価されることもなくなりました。
毎日行かなければならない場所もなくなりました。
それでも、自分自身は何も変わりませんでした。
僕は僕です。
物理的な居場所は家。
そして精神的な居場所は自分自身。
今のところ、私はそれで十分なのだと思っています。


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