最近、AIを使うことが当たり前になってきました。
私もAIを使います。
分からないことを聞けば、すぐに答えてくれます。
自分では思いつかなかったような視点を示してくれることもあります。
本当に便利です。
昔だったら何時間もかけて調べていたことが、あっという間に分かることもあります。
ただ、私はAIを使いながら、一つ気をつけていることがあります。
それは、
「AIが言ったことを、そのまま正しいと思わない」
ということです。
AIがどれだけ賢くなっても、最後は自分で考える。
私はそれが大切なんじゃないかと思っています。
AIに聞けば、何でも答えてくれる
今のAIは本当に便利です。
例えば、どこかへ旅行するとします。
A地点からB地点まで、どうやって行けばいいのか。
どのくらい時間がかかるのか。
そんなことを聞けば、すぐに教えてくれます。
こういったことまで、
「AIは信用できない」
と言って、いちいち全部を疑っていたら、せっかくの便利な道具を使う意味がありません。
私は普通に利用します。
ただ、すべての質問を同じように考えているわけではありません。
間違っていても大した影響がないことと、自分の人生や判断に大きく影響することは、分けて考えています。
大事なことなら「本当にそうなの?」と一度考える
健康、お金、投資。
こういったことになると、私はAIの答えをそのまま信じることはありません。
AIが、
「こういう研究があります」
「こういうエビデンスがあります」
と教えてくれることがあります。
確かに、そういう研究は存在するのかもしれません。
でも、私はそこで、
「本当にそうなんだろうか?」
と一度考えます。
これはAIだから疑っているわけではありません。
人間が書いたものでも同じです。
専門家が言っているから。
研究結果が出ているから。
みんながそう言っているから。
それだけで100%正しいとは、私は考えていません。
研究だって、対象や調べ方、数字の見方によって、結論の見え方が変わることがあります。
そしてAI自身も、間違った情報を出すことがあります。
だから、自分にとって重要なことほど、一度立ち止まります。
「本当にそうなのか」
「出どころはどこなのか」
「違う見方はないのか」
そこを考えるようにしています。
「疑う」と「否定する」は違う
ここは大切だと思っています。
疑うというと、
「何も信用しない」
という意味に聞こえるかもしれません。
でも、私はそういう意味で使っているわけではありません。
AIが私と違うことを言ったときに、
「AIが間違っている」
と決めつけるわけでもありません。
むしろ、
「そうなのか」
と思います。
そして、
「もしかしたら、自分が間違っているのかもしれない」
とも考えます。
そのうえで、
「でも、自分はこう思う」
「こういう考え方もあるんじゃないか」
と考えていきます。
私にとっては、これが「議論する」ということなのだと思います。
自分と違う意見を聞く。
一度受け止める。
自分が間違っている可能性も考える。
それでも納得できなければ、もう一度考える。
AIに対しても、人間に対しても同じです。
AIは「正解を教えてくれる先生」ではない
私はAIを、
「正しい答えを教えてくれる先生」
だとは思っていません。
どちらかというと、
「相談相手の一人」
くらいに考えています。
友達に何かを相談したとします。
一人の友達は、
「やった方がいいよ」
と言うかもしれません。
別の友達は、
「やめた方がいいんじゃない」
と言うかもしれません。
では、どちらが正しいのか。
最後は自分で考えるしかありません。
AIも同じだと思っています。
今はAIも一つではありません。
いくつものAIがあります。
同じ質問をしても、まったく同じ答えが返ってくるとは限りません。
だったら、
「AIがこう言ったから正しい」
とは言えないでしょう。
いろいろな意見を聞いて、最後は自分で考える。
AIは、そのための相談相手の一人でいいのではないでしょうか。
便利になればなるほど、考えなくなるのが少し怖い
私が少し心配しているのは、AIそのものではありません。
AIが便利になりすぎることによって、私たち人間が考えなくなることです。
分からない。
AIに聞く。
答えが出る。
「そうなんだ」
それで終わる。
これが当たり前になったら、どうなるのでしょう。
自分で調べない。
自分で疑問を持たない。
自分で考えない。
AIが言っていることが、そのまま「常識」になってしまう。
私は、そちらの方が怖いと思っています。
もちろん、全部を自分で一から調べる必要はないでしょう。
そんなことをしていたら、AIを使う意味がありません。
便利なものは使えばいい。
私も使います。
ただ、自分にとって大切なことまで、考える作業そのものをAIに渡してしまうのは違うんじゃないかと思っています。
AIによって、自分では気づかなかったことに気づくこともある
一方で、AIと話していると、自分では思いつかなかった視点を示されることがあります。
これはAIの良いところだと思います。
自分一人で考えていると、どうしても同じところをぐるぐる回ってしまうことがあります。
そんなときに、
「こういう見方もあるんじゃないですか」
と言われる。
すると、
「ああ、そういう考え方もあるのか」
となります。
そこから、もう一度自分で考える。
場合によっては、それまで自分でも気づいていなかった自分の考えが見えてくることもあります。
だから私は、AIを使うことによって人間が必ず考えなくなるとは思っていません。
使い方次第では、逆に考えるきっかけを増やすこともできると思います。
AIに考えてもらうのではなく、AIと一緒に考える
これからAIは、もっと賢くなっていくのでしょう。
今より正確になって、人間よりも多くのことを知るようになるかもしれません。
それでも私は、
最後は自分で考えたい
と思っています。
AIの意見を聞く。
違うAIの意見も聞く。
人の意見も聞く。
そして、
「自分はどう思うんだろう」
と考える。
AIはとても便利です。
だから、私はこれからも使うと思います。
でも、AIは私にとって「絶対に正しい答えを教えてくれる存在」ではありません。
相談相手の一人です。
友達の一人みたいなものです。
友達の話を聞いても、最後に自分の人生を決めるのは自分です。
AIも、それでいいんじゃないかと思っています。
便利なところは思い切り使う。
でも、考えることまで全部任せない。
AIがどれだけ賢くなっても、「本当にそうなのかな?」と考えることだけは、これからもやめたくないと思っています。


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