死んだら、人はどうなるのでしょうか。
もちろん、私には分かりません。
おそらく、どれだけ考えても、生きている間に本当の答えを知ることはできないのでしょう。
それでも私は、ときどき死について考えます。
56歳になり、父も母も亡くなりました。
若いころよりも、死というものが少しずつ自分に近づいてきたようにも感じています。
そして今の私は、
「死んだらすべてが終わって、完全にゼロになるわけではないのではないか」
と考えています。
これは何か根拠があって言っているわけではありません。
あくまで、私が自分の人生を振り返ったり、仏教に関する本を読んだりする中で、なんとなくそう考えるようになったという話です。
私は死ぬのが怖い
「死ぬのは怖いですか?」
そう聞かれたら、私は怖いと答えます。
では、何が怖いのでしょう。
以前、自分なりに考えたことがあります。
私の場合、大きく二つあるように思いました。
一つは、
死ぬときに痛かったり、苦しかったりするのではないかという怖さ。
もう一つは、
自分という存在が完全になくなってしまう怖さです。
死んだ瞬間に意識も記憶もなくなって、すべてがゼロになる。
今まで存在していた「自分」が、そこで完全に途絶える。
もし本当にそうなのだとしたら、私は怖いです。
父と母では、最期の様子が違った
死ぬときの苦しさについては、両親の最期を見て、いろいろ考えるようになりました。
父は肺がんで亡くなりました。
最後の3日間くらいは呼吸が非常につらそうで、人工呼吸器のようなものをつけたまま亡くなりました。
一方、母は肝臓がんでした。
母は父とは違い、眠るように亡くなりました。
同じがんでも、二人の最期はずいぶん違って見えました。
父は治療を受け、母は治療をしませんでした。
その違いが二人の最期に影響したのかどうか、私には分かりません。
医学的なことを言いたいわけでもありません。
ただ、実際に二人の最期を見たことで、
「死ぬときは必ず苦しいとは限らないのかもしれない」
とは思うようになりました。
私自身も、できることなら母のように、あまり苦しまずに最期を迎えたいと思っています。
「自分がなくなる怖さ」は以前より小さくなった
一方、もう一つの「自分が完全になくなる怖さ」については、以前より少し小さくなっています。
なぜなら、今の私は、
死んでも、そこで完全に途絶れるわけではないのではないか
と考えているからです。
私は人生について、こんなふうに考えることがあります。
自分が何かをする。
すると、それをきっかけに何かが起こる。
起きた出来事に対して、また自分が何かをする。
すると、また次の出来事が起こる。
人生とは、その繰り返しなのではないかと思うのです。
例えば、今の自分がいるのも、これまで自分がしてきたことや、起きてきた出来事の積み重ねです。
一つの出来事が次の出来事につながり、またその次へとつながっていく。
そう考えると、私は死だけが突然すべてを断ち切る特別な出来事なのだろうかと思うようになりました。
死も一つの「出来事」なのかもしれない
私にとって死は、人生から切り離されたものではなく、この連続の中で起きる一つの出来事なのではないか。
今はそんなふうに考えています。
だから、自分が死んだあとにも、それまでの自分の行動や経験をきっかけとして、また何かが起こるのではないか。
それが生まれ変わるということなのかもしれません。
まったく違うことなのかもしれません。
それは分かりません。
それでも私は、
「死んだ。はい、ここですべて終わり」
ではないような気がしています。
そう考えるようになってから、死に対する恐怖は少し和らいだように思います。
もちろん、これが正しいと言っているわけではありません。
私が勝手にそう考えているだけです。
この世は分からないことだらけ
そもそも私は、この世の中には分からないことが多すぎると思っています。
人生も分からない。
お金のことも分からない。
人間関係も分からない。
世の中の仕組みなんて、もっと分かりません。
考えてみれば、生まれた瞬間から人それぞれ違います。
裕福な家庭に生まれる人もいれば、そうでない家庭に生まれる人もいる。
容姿も違います。
健康状態も違います。
同じように努力しているように見えても、うまくいく人もいれば、なかなかうまくいかない人もいます。
本人には何の落ち度もないように見えるのに、つらい出来事が続くこともあります。
そういうものを見ると、
「この世の仕組みって、いったいどうなっているんだろう」
と思うのです。
一つの出来事だけでは、良いか悪いか分からないのかもしれない
私は、一見すると悪い出来事に見えることも、もっと長い流れの中で見たら、その先につながっているのではないか、と考えることがあります。
そのときには最悪だと思ったことが、ずっとあとになって振り返ると、別のところにつながっていた。
自分の人生でも、そう感じることがあります。
だから、今目の前にある出来事だけを見て、
「これは良いこと」
「これは悪いこと」
と簡単には決められないのではないかと思っています。
もし人生が死で終わらず、その先まで続いているとしたら、なおさら私たちには全体が見えていないのかもしれません。
これも、もちろん私の想像にすぎません。
ただし、つらいときには何の助けにもならなかった
ここは大事なところです。
こういう考え方を持っていれば、つらい出来事が起きても平気でいられるのか。
私の場合は、まったくそんなことはありませんでした。
実際につらいことが起きたとき、
「これも長い目で見れば最善の道なのかもしれない」
などとは、とても思えません。
つらいものは、やっぱりつらいです。
悲しいものは悲しい。
苦しいものは苦しい。
それでいいのだと思います。
無理やり、
「これには意味があるんだ」
「きっと良いことにつながるんだ」
と思い込もうとする必要もないと思っています。
ただ、何も起きていない普段のときに、自分なりにこういうことを考えておく。
それによって、つらい出来事が起きたときの苦しさを少しだけカバーできることはあるのかもしれません。
その程度のものだと私は考えています。
いつか「仏のような存在」になれたらいい
では、もし死んだあとも何かが続いているとしたら、私は最終的にどうなりたいのか。
そんなことも考えてみました。
できることなら、
いつか仏のような心を持った存在になれたらいいな
と思います。
人間として生まれて、人生が分からずに迷っている人。
どうして自分だけこんな目に遭うんだろうと苦しんでいる人。
そんな人たちに、この世の仕組みのようなものを伝えて、少しでも楽に生きられるようにできる存在です。
人間なのか、仏なのか、そもそも物体なのかも分かりません。
「存在」としか言いようがありません。
もし、この世がどういう仕組みで動いているのか本当に分かったなら、人間は今よりもう少し楽に生きられるのではないか。
そんな気がしています。
答えが分からなくても、自分で考えることに意味があるのかもしれない
おそらく私は、生きている間に答えを知ることはできないでしょう。
死んだらどうなるのか。
生まれ変わりはあるのか。
なぜ人はそれぞれ違う条件で生まれてくるのか。
なぜ理由も分からないような出来事が起こるのか。
この世はどういう仕組みになっているのか。
分からないことばかりです。
でも最近は、それでもいいのかなと思っています。
もしかすると、
分からないことを分からないままで終わらせず、自分なりに考えて、自分なりの答えを持つ。
そのこと自体に意味があるのかもしれません。
もちろん、それさえ私には分かりません。
そして、今持っている私の考えが、この先変わることもあると思います。
いろいろなことを経験して、いろいろなことを知って、
「やっぱり死んだらすべてなくなるのかもしれない」
と思うようになるかもしれません。
それなら、それでいいと思っています。
考え方が変わるのは、ごく普通のことです。
56歳の今は、こう考えている
私は死ぬのが怖いです。
特に、苦しんで死ぬことは怖い。
できることなら、苦しまずに最期を迎えたいと思っています。
ただ、「死んだら自分が完全になくなる」という怖さは、以前より少し小さくなりました。
今の私は、
人生とは出来事の連続であり、死もその中にある一つの出来事なのではないか。
そう考えているからです。
死の先に何があるのかは分かりません。
それでも、そこで完全に途絶れるのではなく、また何かが続いていくのではないか。
56歳の私は、今のところそんなふうに考えています。
正しいかどうかは分かりません。
そもそも、この問いに誰もが納得できる正解があるのかも分かりません。
だからこそ、他人の答えをそのまま自分の答えにするのではなく、自分で考えてみるのもいいのではないでしょうか。
死んだら、どうなるのか。
あなたは、どう考えていますか。


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