2019年3月に会社を早期退職したとき、実家では82歳の母と妻、私の3人暮らしでした(父はすでに他界)。当時の母は高齢ながらまだまだ元気でした。
それから7年以上の月日が流れ、母は少しずつ老いて足腰が弱り、やがてがんが見つかり、最後はホスピスで静かに息を引き取りました。
「早期退職して一番つらかったことは?」と聞かれたら、私は「大好きな母が少しずつ老いていく姿を見続けたこと、そして死を見届けたこと」と答えるかもしれません。
しかし、もし会社員のままだったら、これほど長い時間を母の晩年に捧げることは絶対に不可能でした。
今回は、母の老いと死に向き合った7年間で感じたこと、そして母が最期に教えてくれた「人生で本当に大切なこと」についてお話しします。
1. 元気だった母が弱っていく姿を見る「複雑な時間」
会社を辞めた直後、母が家の階段から落ちたことをきっかけに、少しずつ足腰が弱っていきました。
一人で買い物や病院に行けなくなり、2年に1回ほどのペースで入院を繰り返すようになります。送り迎えやお見舞いは、会社を辞めて時間にゆとりのあった私の役目になりました。
もし私が働いていたら、妻にすべて大きな負担をかけていたか、母に十分なことをしてあげられなかったはずです。その意味では「会社を辞めていて本当に良かった」と心から思っています。
しかし、私が過ごした時間は「元気になっていく母との楽しい時間」ではありませんでした。
- 少しずつ痩せていく姿
- 自力で歩けなくなっていく姿
- 食べたいものが食べられなくなっていく姿
親が少しずつ小さくなり、できないことが増えていく現実をすぐ隣で見続けることは、時にとても切なく、つらい時間でもありました。
2. 老いを見届けて気づいた「やりたいことは『今』やるべき」という真理
母の晩年を見ていて、痛感したことがあります。それは「どんなにやりたいことがあっても、高齢になれば物理的にできなくなる」という現実です。
母は肉が好きでしたが、晩年は胃が受け付けず食べられなくなりました。足腰が悪くなれば、行きたい場所へ旅行に行くこともできません。
💡お金を貯めることだけに囚われてはいけない 早期退職を考えるとき、誰もが「老後資金はいくら必要か」「何歳まで持つか」とお金のことばかり考えます。 確かにお金は大切ですが、「65歳になったら旅行しよう」「老後においしいものを食べよう」と思っていても、その時に体が動く保証も、胃腸が健康な保証もありません。 **「将来のために、今を犠牲にしすぎる生き方」**は違うのではないか――母の姿は、私にそう教えてくれました。
3. 正直な本音:後悔と、ほっとした気持ち
母が亡くなったときのショックは、父の時以上でした。ずっと近くで介護や送り迎えをしてきた分、心にぽっかりと大きな穴が空いたようでした。
同時に、自分の中に「ほっとした気持ち」があったことも嘘偽りない本音です。
生前は旅行に出かけても「家で転んでいないか」「倒れていないか」と心のどこかで心配が離れませんでした。葬儀や相続が終わり、長年の緊張感や心配事から解放された安堵感があったのは確かです。
しかし、安心感と寂しさは全くの別物です。今でも母のベッドはそのまま置いてあり、それを見るたびに一つの後悔が押し寄せます。
唯一の後悔:「もっと話せばよかった」
毎日同じ家にいて、病院への送り迎えやお見舞いも欠かしませんでした。特別な旅行や高価なプレゼントをしてあげたかったとは思いません。
ただ、「もっと母と話せばよかった」。 ただ一緒にいることと、しっかり心をつないで「向き合う」ことは違っていたのだと、失ってから気づきました。
まとめ:早期退職で手に入れたものは「自由」だけではなかった
早期退職というと、「仕事のストレスからの解放」や「好きなことをする自由」ばかりが注目されます。
しかし、私が会社を辞めて得た最も大きなものは、「母の晩年に寄り添い、最期まで一緒にいられた時間」そのものでした。
そして今、私は「親孝行したいときには親はなし」という言葉の本当の意味を噛み締めています。だからこそ、妻にも「元気なうちに実家へ帰って、ご両親とたくさん話をしてほしい」と伝え、私も一緒に行くようにしています。
母が命がけで私に教えてくれたメッセージは、とてもシンプルです。
- 行きたい場所があるなら、行けるうちに行く
- 食べたいものがあるなら、食べられるうちに食べる
- 会いたい人がいるなら、会えるうちに会う
- 話したい人がいるなら、話せるうちに話す
「いつか時間ができたら」ではなく、「今できるなら、今やる」。
この教訓を胸に、これからも自分の人生を大切に歩んでいきたいと思います。


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